ABOUT ME|ワタシのこと

うごけない

小学校中学年から中学、高校時代は山ばかり登っていました。もともと星空を見るのが好きで、山の上から見ることのできる星空に魅せられて、それが理由で登山をしていたというのありました。肉眼で彗星を見たのはハレー彗星と百武彗星くらいでしょうか?当時から天文雑誌などを購読していたため、天体望遠鏡がほしくて、なんどか親に掛け合いましたが、けっきょく買ってもらえずに終わっていました。当時はとくに天体望遠鏡にはこだわりはなく、どちらかといえば、望遠鏡に取り付ける、ミノルタのα-7000というフィルムカメラでステキな星空が撮りたいというほうに重心が傾いており、ワタシの中では天体望遠鏡と一眼レフカメラがセットになっていたため、天体望遠鏡が買いづらい原因ともなっていたのだと思います。
 
 

ギターを弾いていました

少し年の離れた先輩がギターをやっており、ヘビーメタルに目覚めたのは中学にあがるかあがらないかのころ。音楽を聴くためにステレオがほしかったり、当時からRainbowやDeep Purpleを好んで聴いており、リッチー・ブラックモアのコピーをするためにフェンダーのデカヘッドのギターがほしかったり、マーシャルのアンプがほしかったりと、そのころから物欲がすごいかんじでした。中学に入学するときに銀座の山野楽器でフェンダーUSAのストラトキャスターをお祝いで買ってもらってしまったため、天体望遠鏡が遠のく原因となりました。
 
 
 

オーディオマニアになりました

ステレオアンプは先輩から譲っていただいたというか、おさがりですね。型式は覚えていませんが、山水のものだったと記憶しています。現在販売されているAVアンプとは異なり、2chのピュアオーディオでしたね。自分で購入したのはナカミチのドラゴンというシリーズのテープデッキ。レコードプレーヤーはDENONとTechnicsのものがあり、メインではTechnicsを使用していました。スピーカーはフォステックスのコーンを購入して、自分で作りました。ワタシがCDプレーヤーをはじめて買ったのは高校に上がってからのことでした。レコート販売店にレコードがなくなり、レンタルレコードもレンタルCDに変わった時代でもありました。
 
 
 

パソコンをはじめました

パソコンを購入したのは大学に進学してから。NECの9801を購入しましたが、当時はOSもMS-DOSかOS/2でアプリケーションも高く、ほとんどOSをいじっていただけなかんじでした。Windows3.1が発売されてから、MicrosoftのフライトシミュレーターとかA列車で行こうなんていうゲームもやっていましたが、キホンOSをいじったりしているだけでした。学時代は遊びほうけており、バイト代でギターを買ったりしていました。地方の大学に進学したため、星空はキレイで、よく、夜空を眺めていましたが、望遠鏡やカメラは買いませんでした。大学も宙ぶらりんなまま退学し、そのまま路頭に迷い、数年間はぷらぷらしており、親には大変迷惑をかけた時期でもありました。
 
 
 

不動産業者になりました

まともに働くようになったのは、26~7のころでしょうか?零細の不動産仲介会社に勤めました。営業ができるわけでもなく、事務もできない。そんなワタシがその会社に拾ってもらえたのは、当時のIT化の流れでした。学生時代、ワタシ自身がパソコンで困った経験が役に立ち、それまでは、図面も切り貼りして手作りしていたのですが、ITバブルとIT減税みたいなものがあり、企業としては、IT投資がしやすい環境であったのは間違いないと思います。当時は経理の方がパソコンを1台使っていて、そのほかの人たちは、共用で数台のパソコンを使っていたのですが、会社に稟議をあげ、ひとり1台以上のパソコンの導入および、インフラの整備というのをメインにやっていて、社内SEというか社内インフラ担当みたいな立場で採用されました。当時はまだ、インターネットの黎明期でもあり、常時接続もなく、従量課金型のプランしかなかったように記憶しています。また、ホームページの作成も当時としてはかなり早いタイミングではじめており、大手企業ではドメインの取得に不慮し、ドメイン売買が横行した時代でもあったため、whoisをたどって、ドメイン取得者から高額で購入したりするケースもありましたが、ワタシの勤めていたような小さな企業ではほぼほぼドメインは問題なく取得することができました。まあ、社名が長かったというのも要因にはあったのだと思います。ホームページの作成も担当させていただいており、コンピューターやOA機器にまつわることはすべて、任されました。ただ、購入や導入に関する決裁権はなく、メーカーや代理店の営業の方と話し、すべて稟議書としてまとめ、社長の決裁を仰ぐというやり方で、社長にナゼ、パソコンが必要なのか?ナゼ、サーバが必要なのか?セキュリティソフトが必要なのか?など、全部説明しなければならず、稟議書は当然にして、長い書き物になりました。当時はどこの企業もそうだったのかもしれませんが、経営陣がIT投資に関する重要性というか、必要性というか、そういったものに対する理解が薄く、予算を取ったりするのには非常に不慮することが多かったですね。とくにサーバコンピュータやほかのアプリケーションのライセンスなどはわかってもらえないことが多く、「使えるんだからいいんじゃないの?」的な考え方をする経営陣が多く、法律で商売をしている不動産業者としては、かなり考えが甘いといいますか、理解されないことが多くて大変でした。
 
 

 

 

勤め先はブラック企業でした

不動産業者は通常、水曜日を定休日としているところが多いでしょうか?理由は「契約を水に流さないように」なんていわれていますが、実際には土日祝日に来店や契約をするケースが多く、それが理由で週中の水曜日を定休日にしているところが多いのだと思います。大きな不動産業者ですと、勤怠とかもキチンとしているのでしょうが、ワタシが勤めていた会社は定休日は水曜日のみ。ゴールデンウィークは前半と後半に分けて3日ずつくらい。お盆休みとお正月の休みもありましたが、みんながお休みの日でないとできないシステムのアップデートやテストなどの作業があったりして、休日もほとんど出勤していることが多かったですね。勤務時間は朝9時から夜7時までとなっていましたが、実際には8時前には出勤し、お客様の来店の予定や契約の関係もありますが、夜9時過ぎくらいまでやっていたでしょうか?残業代もなく、キホン固定給でしたので、休日に出勤したから給与が増えるとか、残業したから残業代が出るということもありませんでした。当時はコトバすらなかったですが、いま考えると、いわゆるブラック企業だったのかもしれません。ちなみに、夜電話をかけても、つながる企業は不動産業者だけでなく、広告代理店、設計事務所などがあります。このあたりもブラック企業なのかもしれませんね。
 
 
 
 

先生とはいわれてことがありません

いまは宅地建物取引士という名称に変更され、士業になっていますが、ワタシは呼称変更される前に取得した宅地建物取引主任者でしたので、宅地建物取引業法第35条の規定に基づく重要事項の説明というのを、契約に先立ち説明をしなければなりません。これがけっこう大変で、お客様がよくお勉強されている方とかだと、突っ込まれ、グゥの音も出ない状況になることもよくありました。理由のひとつには仲介手数料、賃貸借でいえば更新料に関する規定なんかもよくお勉強されている方だと、キチンと質問されました。不動産仲介をメインでやっている会社の場合、仲介手数料が収入の源泉となりますので、ここを「負けてくれ」とか、賃貸借ですと「50%じゃないの?」とかいわれてしまうと、会社に入金予定の数字が変わってしまい、営業の方だと実入りに直結するところですので、それを契約前に説明する重要事項説明で聞かれてしまうと、非常に困ったことになったりすることもありました。売主様ないし、オーナー様側の不動産業者さんのことを元付業者といいますが、そちらが手数料を補填してくれるのであれば、やりようがあるのですが、それがないと、収入が一気に減ることになりますので、ワタシのひとことで、展開が変わらないように配慮して、説明し、場合によっては契約約款などにも足を踏み入れ説明をすることもありましたので、ホント、大変でした。営業マンがホントは宅地建物取引士であればいいのでしょうが、忙しくてなかなか勉強する時間もなく、取れないというパターンのひとともおり、営業なんだけど、重説ができないというひともけっこういましたね。また、宅建を持ってない営業マンのほうが数字をやるという傾向がワタシの勤めていた会社ではありました。
 
 
 

うつ病でした

そんなこんなで20年近く、なんでも屋みたいな仕事をしていましたので、携帯に子飼いにされており、お休みの日に休んでも疲れが取れなかったり、情緒が不安定になったりするようになりました。具体的には睡眠がとりにくくなったり、突然悲しくなり、涙が出てきたり、死んじゃいたいと思ったり、ひとりでなにかぶつぶついっていたり、疲れが原因で非常に具合が悪くなったりとか、周りのひとがワタシの悪口をいっているようにかんじたりと、まあ考えると、いろいろなことがありました。周りとしゃべる機会もなくなり、というか、ワタシのほうが、ほかの従業員の方をさけていたというのが実情でしょうか?これはちょっとおかしいと思い、ちょうど勤め先の近所に「疲れ」とか大きく書かれた心療内科ができたので、行こうと思ったのですが、先にも述べたとおり、いろんな仕事をやっていたがために、予定がなかなか作れず、「初診の際は最低2時間はみてください」という2時間が作れず、けっきょくなんだかんだの調整で最初の電話から3ヶ月後くらいで予約をすることができました。
 
精神科ではかなり長いアンケートみたいなものを渡されて、すべて埋めるようにいわれました。イエスノーでしか答えることができないので、どっちだろう?と答えるのが難しい質問もありました。アンケート終了後、先生との問診がはじまるのですが、最初は採血もされました。これは、膠原病という病気にかかっている可能性を見るためだそうで、その後、15分ほど先生と話し、先生から会社を休むようにいわれ、必要であれば、診断書というか書面も作成していただけるということだったのですが、とりあえず検査結果を待ってからというのがワタシの意思としてありましたので、1週間後に検査結果を聞いて、それから考えようということになりました。結果、膠原病はなく、医師の診断としてはうつ病でした。原因はおそらく休みのない状態で、緊張が断続的につづき、睡眠がよく取れていないことだといわれ、入院を勧められましたが、抱え込んでいる仕事が多く、調整も必要だったので、また1週間後、というのが2ヶ月くらい続き、役員に事情を話し、無期限長期休業の許可が出たときは、病気も進行していて、ひとりで外出することもできないくらいの状況になっていました。電車に乗ることも怖く、当然人混みには行くことができず、そもそも、ベランダに出るのも怖いくらいで、会社のだれかに監視されているのでは?とうがった考え方をするようになっていました。
 
病気に関する理解も少なかったことから、「根性がないんだ」とか、そんなかんじに捉えたれていたような気がします。長期休業ですと、給与が出てしまい、周りの目も気になることから、当初は退職を懇願していましたが、傷病手当金という制度があることがわかり、会社に相談し、そちらに切り替えてもらいました。携帯は電源を落としており、会社との関係を一切切りたいと思っていたので、大人としては非常に恥ずかしいといいますか、社会人としてはあり得ないことでしたが、キホン連絡はメールのみ。しかも特定のひととしか連絡しないというスタンスでいました。このころ、起床は夜中の1時とかで、消灯するのが夜の10時くらいでしたので、ほとんど眠れなかった時期でしたね。所得も減り、生活にも大きな不安を抱えていましたが、会社に行くことができず、ほかの従業員にも面目が立たず、どうにもならない時期でした。霊現象など、以前のワタシはなにも怖くなかったのですが、寝ていると幽霊が出てきたり、その幽霊を話してみたり、金縛りになって、足を引っ張られたりすることがあり、科学で証明できない事案をちょっと信じるようになりました。
 
 
 

カメラをはじめました

この時期に出会ったのが、キンギョ、メダカ、そしてブログです。一晩中起きているので、なにかをブラウジングしていることが多かったのですが、うつ病の体験談をブログ記事にしている方や、キンギョやメダカを飼育している方が、成長日記的なブログ記事を書いていたりして、そんなのを読んでいることが多かったと思います。そんなみなさまのブログに感化され、ワタシもブログを書いてみようと思い立ち、できることならアフィリエイトでいくらかでも収入を得ようと、デジタル一眼レフカメラの購入を検討しはじめました。なにかに特化したブログでもよかったのですが、そのころのワタシにできることといえば、自分が知っていることを書くか、飼いはじめたキンギョやメダカについて書くことくらいしかなく、日記スタイルの雑記ブログを書くことにしました。WordPressについては聞いたことはありましたが、触ったこともなく、ワタシが知っているHTMLとはわけが違い、CSSで形を整えたり、PHPで設定をあらかじめ決めるなど、知識が全く足りず、また、お金もできればかけたくなかったため、Seesaaブログでブログをはじめることにしました。ブログには写真がついて回りますので、オススメのデジタル一眼レフカメラや、その撮影方法、あと、子どものころから好きだった星空の撮影方法なや赤道儀などについて調べることが多かったでしょうか?会社には物件撮影のために購入したキヤノンのEOS Kissデジタルがあったため、デジタル一眼レフカメラを方法触るのははじめてではありませんでしたが、色々なひとのブログを拝見して、また、はじめから勉強したかったため、結局ニコンのD5300のダブルズームキットを購入しました。このころはほぼ、ひとりで外出することができない状態で、キホン、勉強するとはいっても、楽しいとか、やりたい気持ちにも限界がすぐ萎えてしまったりして、つづけられるか心配でしたが、とりあえず、やれるだけやってみようという感覚で、ブログをはじめることにしました。ブログをはじめると、Amazonで買い物をすることが多くなり、なにか買ったら、それを開封して記事にしていました。特に病気について触れることはありませんでしたが、気づかれた方もなかにはいらっしゃるのではないかと思います。1年くらいつづけて、アクセスは1,000PVくらいまで行きました。アマゾンアソシエイトをやっていましたが、5,000円以上になって振り込まれるまでにはさらに時間がかかりました。というのも、アマゾンアソシエイトにはシーリングがあり、高いものが売れても、最高1,000円しかもらえません。また、リンクを踏んでいただいてから、24時間以内に購入していただけないと、ワタシの売り上げにはならず、ルールとしてはけっこう厳しいアフィリエイトプログラムでして、もちろんですが、自己アフィリも禁止です。なんだかんだいいながら、そんなことを5年以上つづけたことになります。
 
傷病手当金は最長で1年半ですが、ワタシの場合、その期間だけでは社会復帰できるほどに回復はしておらず、けっきょく会社に退職届を出し、受理され、その後は失業保険でしばらく生活していました。失業保険も最長で1年半。丸々3年はどうにかなる状態でしたが、それを過ぎると、お金の出所がなくなるので、仕事も探しました。ホントは、在宅でできるキーパンチャーみたいなのがよかったのですが、そういった類いの求人はほとんどなく、ふつうに勤務するものばかりでした。当初は障害者雇用で求人を探していましたが、ワタシにできそうな仕事がなかったので、一般の求人も見るようにしました。クルマの免許を持っていないワタシにはなかなか難しく、また、医師からは意見書がついている状況でしたので、その範囲内で仕事を探すには非常に難しく、対人接触が比較的少ないであろう仕事を探して、パートとして働くことにしました。そんな状況で現在に至るわけですが、仕事を継続してつづけるのはやはり難しいですね。内部の人間関係やデリカシーのない発言、いじめなどに苦しめられています。できることであれば、自宅で仕事ができるといいなーといまだに思っています。
 
 
 

まだ波はありますが・・・

幸い病気は快方に向かっているようで、毎週通院もつづけていますが、外に撮影に出かけられるようにもなりました。ただ、すぐに疲れてしまうので、長時間はムリだったりするのですが、どうにかなっています。このブログはワタシの行った場所などを紹介していくつもりですが、ワタシのように精神障害を持った方の支えになれれば幸いです。
 
長文になってしまいましたが、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。乱文ご容赦ください。